富士登山競走 山頂コース2018に向けての練習①

富士登山競走2017五合目コースは制限時間ギリギリで山頂コース挑戦権を得たが、このままでは山頂には確実に行けないことが分かった。でもまだ1年ある。しっかり準備してチャレンジしようと思った。だがここからが悪夢の連続。毎月のように発熱する。発熱すると2W近く練習が中断される。走力は落ちるばかり。12月にはインフルA型発症。2月の別大マラソンに向けて故障上等で1月に週3回のポイント練習を敢行するも1月末にインフルB型発症。別大は出場できず。残ったのは1月の練習で痛めた右足の踵痛だけだった。

 

2月は体調を戻すことと踵痛を治すことを最優先にして30Kmしか走らず。

3月から練習開始。200Km走って4/1のハセツネ30Kに備える。何とか700番台で秋の本戦出場権を取るも前年より順位を200番以上下げる。まぁ仕方ない。富士登山競走山頂コースのエントリー成功。

4月は300Km走る。但し踵の痛みが引かずほとんどジョグ。

5月は踵痛が悪化。スピード練習したかったが全くできずでジョグばかり260Km。富士登山競走まで2ヶ月を切った。山用の脚を作らないと間に合わない。山は下りで踵が悲鳴を上げるので避けたかったが、このままジョグばかりしていても治らないので練習始めるしかない。

 

6月一週目。富士登山競走五合目コースを試走。去年病み上がりで2時間18分。普通の体調ならどれくらいで行けるか確認するのが目的。富士吉田市役所の駐車場に車を停めて準備をしていると女性職員らしき人が「競走の試走ですか?」と声をかけてくる。勝手に駐車場に停めてまずかったかな?と尋ねると、もちろんいいですよ。練習頑張って下さい!との返事。富士吉田には登山競走が文化として根付いてる感じがする。試走は水を中心に3Kgの荷物を背負ったとは言え、馬返し1時間9分、五合目2時間14分…。遅い。本番ではスタートロスが1分あるのでこれでは五合目関門を突破できない。更に五合目でオールアウト。しばらく休んでから六合目まで上がってみたがフラフラ。市役所までの帰りが辛かった。ロードの登りが遅いことが何より問題。

6月二週目。八重山トレイルに会社のGさんと参加。Gさんはトレイルレース初挑戦。初心者向けのレースを選んだ筈なのに走ってみたらメッチャきつい。天候は土砂降り。第一給水所まで一緒に行きましょうとか言っておいて、スタート30mで前に行ってしまう俺。中間地点で熱中症みたくなってしまい20分くらい寝る。復活したのでフラフラ走る。途中で話したランナーに次のレースを聞かれて富士登山競走と答えると、微妙な空気が流れる。こんな後ろの方を走ってる奴が何言ってんだ?って感じ。ごめんなさい。グダグダで終了。

6月三週目と四週目。とにかく基本ができていないので地元箱根の坂で練習。家からちょうど10Kmで550m上がれるロードを仮想馬返しルートに仕立てて登る。この坂は絶頂期であれば60分切れるのだが、62-64分程度のタイムしか出ない。走るの好きだけど才能ないんだなぁもうやめちゃおうかなってチラっと思う。

 

6/30 馬返し~山頂試走。目標3時間15分。というか3時間15分で登れないなら完走は絶対に無理。もう一つ、馬返し~五合目も60分切りしておきたい。フレッシュな状態で60分切れないようなら五合目関門すら突破できない。結果…3時間45分。ごしゅーしょーさまでしたー。馬返し~五合目も62分かかった。山開きの前日で、登ってる人の半分以上がランナー。抜かれまくる。なぜそんなに速く登れるのか意味が分からない。昨日の午後に北岳から徹夜で走ってきたとか言ってる人(24時間以内に日本で一番と二番の山を走って踏破するつもりらしい。100Km以上離れてるんですけどー)や山頂で談笑しながら高速お鉢巡りを楽しんでる人、そして殆どの人が市役所から走ってきてるらしく、下山後のロードも元気に市役所まで走って戻ってる…。こんな頭のおかしな集団が出る大会なのかと打ちのめされる。自分の場違い感が甚だしい。でも帰りの車の中でモハメドアリの言葉を思い出す。

不可能とは、自らの力で世界を切り開くことを放棄した、臆病者の言葉だ。不可能とは、現状に甘んじるための言い訳にすぎない。不可能とは、事実ですらなく、単なる先入観だ。不可能とは、誰かに決めつけられることではない。不可能とは、可能性だ。不可能とは、通過点だ。不可能なんて、ありえない。

今更なんだよ。無茶苦茶だってことは最初から分かってた筈だ。事実を突きつけられて逃げだすのなら最初からやらなきゃいい。ここで努力をやめたら100%不可能だ。どんな気持ちでスタートラインに立つんだよ。1%でも可能性を見つけよう。こじ開けよう。諦めてたまるか。