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2/3(日)憧れの別府大分マラソンに出てきました。
ここに出るまでにも、長い長い歴史がありました。
でもその頃はまさか、 あの伝統の別大の参加資格を自分が持ってるなんて知らなくて( 走る友達が全く居なかったのでこういう情報がなかった)、記録証なんかも即捨てていて手元に証拠がなかった。その後、練習強度を上げたことで、 脚のアチコチが痛くなり全く練習できず、 フル4時間45分位まで落ち込んだ頃に、サブ3.5の記録証を持ってれば出場資格があると知り、なにー!出たい出たいーと練習再開。
しかし脚が猛烈に痛くてスピード練習は全く出来ず、 ひたすらキロ5-6のジョギングのみで月300Kmを走り込み、2016年11月のつくばマラソンでギリギリサブ3. 5に返り咲き。ラスト5Kmは「別大別大」 と唱えながら必死に走った。でもよくよく応募要項見たら「グロスで」サブ3. 5と書いてある…。あぼーん。 ネットで切ってるけどグロスでは切れてない…。グロスなんか意識したことないっての…。
で、次のチャンスは2017年3月の静岡マラソン。 こっちはグロスで切る! と誓ったものの相変わらず脚が痛くてまともに練習できず。直前2カ月でキロ5切って走ったのは、2月のハーフマラソン( 一応キロ430で走れた)と20Kmの450ペース走1本のみ。30Km走もやってない。450~ 455ペースで走ったが15Km過ぎからキツい。 20Km地点でもうダメ…と思いながらも、「別大別大別大別大べつだいべつだいべつだい」 と呪文のように唱えて37Kmあたりまでキロ5を切り続ける。37Km過ぎにキロ5からこぼれるも、 貯金もあるし510を切ってれば大丈夫だろうとヘロヘロ走る。40Km過ぎて沿道から「まだ3時間半切れるぞ!」 と声援が飛び、後ろの男が「マジ?まだイケるの?」 と言ってペースを上げる。俺は逆に「マジ?そんなギリギリなの?」と焦って必死にもがく。 何とかグロスで3時間28分台でゴール。ゴール地点で座り込んでしまいしばらく動けなかったが、 何とか別大の資格を取った。記録証を大事に大事に持って帰った。
そしていよいよ2017年9月に2018年2月の別大申込。 無事エントリー。行くぜ別大。
ところがこの年は7月頃から毎月毎月発熱する。 体調不良のまま出た11月のつくばは3時間38分。やばい、これじゃせっかく別大出ても完走できないじゃん。 一生懸命練習する。そして12月下旬インフルA型発症。2W練習できず。 年明け走り始めるも、 キロ630で5Kmが走り切れず歩いてしまう。スピードとスタミナの両方を戻すのはもう無理だからせめてスピー ドだけでも取り戻そうと、治り切ってない脚で無理矢理インターバルやBU走を繰り返す。 右踵が激痛だったけど無視。何とか5Km毎に440→430→ 420ペースでのBU走がこなせるまで戻す。スタミナは無いけどそっちは気持ちじゃ!行くぜ! と思った1月末、インフルB型発症。結局別大には行けず。家族から隔離された小部屋の布団の中でちょっと泣いた。
2018年9月、2度目の別大エントリー成功。 持ち記録は前回同様2017年3月の3時間28分台。 エントリー選手の中でほぼビリだが、構わない。こういう状況こそ俺は燃える男だ!と思う。 しかしこの年の戦績がまた全く振るわない。
富士登山競走:4時間36分で完走ならず
ハセツネ :18時間かかって夜が明けてからゴール
手賀沼ハーフ:1時間39分台
つくばマラソン:3時間43分
それなりに練習はしているんだけど、もう年齢的に限界なのかな… 。
でももう一回、憧れの別大に向けて、ゼロから積み上げてみよう、 やれることをやろうと、岩本能史の「限界突破 マラソン練習帳」を教科書に練習に励む。目指すは3時間15分。サラリーマンにはこの教科書の忠実再現はキツかったが、 極力こなした。
泊りの忘年会の翌朝5時から知らん土地でペース走したり、 フレックスしてBU走してから飲み会参加したり。ソツケンは12Kmでいっぱいいっぱいになってしまったけどその 前週まではこなせた。3時間15分は無理かもしれないけど3時間20分は行きたい、 行けるんじゃないか?という手ごたえがあった。
そして2/2(土)大分空港に降り立った。
別府の受け付け会場に向かうバスから明日走るコースが見えた。
やっと来れた憧れの聖地。 別府湾沿いを走る片側3車線の広々とした国道。 明日はここを走るんだ。気持ちが高ぶりずっと外を眺めてた。
2/3(日)レース当日。
正午スタートは初めてで、 食事のタイミングや量がよく分からない。
腹に食べ物が残っていると気持ち悪くなってしまうので、 普段のフルマラソン前はあまり食べないようにしているのだが、自分がゴールするのは15時過ぎ、 さすがに朝は食わなきゃ持たないだろうと8: 00にホテルのビュッフェに行って、結構たらふく食べた。(これが失敗だったかなぁ… 後半気持ち悪くなってしまった)
10:00頃、スタート地点のうみたまご到着。 友人Kさんと合流。サブスリーまであと1分まで来ているKさんは4’ 05で突っ込むとのこと。自分は4'40で入って10Km過ぎに4'35まで上げて巡航、 イケる!と思ったところで4’30まで上げるつもり。30Km迄に4’30に上げられたら3時間15分切り。 それより遅ければ切れない。分かりやすくてイイ。
Kさんの「男なら最初から突っ込むべき!」 という悪魔の誘いをノラリクラリとかわしながら、いよいよ11:40。ラインアップ。 Kさんと別れてゼッケン順に並ぶ。エリート選手みたいだ。とは言っても、 持ちタイムがほぼビリの自分の後ろには2列しかなく、
その後ろにはパトカーがデーンと構えている。 5Kmごとの関門はキロ5のペースで情け容赦なく閉じられていく らしい。キロ5ペースについていけず群れからはぐれたシマウマは、 パトカーという名のジャッカルに喰われてしまうのだ…
などと考えていたら「オンユアマーク」 の声と共にスタートのピストルが鳴った。
スタートライン通過は1分10秒。
広い3車線とガチランナーだらけという組み合わせなので、 スタート後はあっと言う間にペースが上がる。周囲についていくと1Kmの通過は4’40。予定通り。 振り返ると…相変わらずほぼビリ。パトカーすぐそこ。思わず顔がニヤける。俺、今、すげーレースに出てるぜ!4’ 40で走ってんのにビリだぜ!大多数はこのレースを走る為に真剣に練習して節制してきた人達ば かりだろう。同志だなぁ。
5Km通過。別府市内に入る。4’40が余裕すぎる。 ペース上げてもいいんじゃね?って思うが我慢我慢。
7.5Kmあたりで折り返してきた先頭集団とすれ違う。 先頭は東洋大学のエース山本??ペースメーカーで出てる??
9Km過ぎの橋のテッペンでKさんとすれ違う。飛ばしてるなぁ。 俺もいつかはあの領域まで行きたいな。
10Km手前で折り返し、 ちょっと走るともう反対車線にランナーが居なくなる。 1人だけ大きく遅れてその後ろにパトカー。
ケガや体調不良を押して出た人なんだろうか。頑張れ!逃げろ!
10Km過ぎて予定通り4’35にペースを上げる。 イケるイケる。
14Km付近で、ん?ちょっと疲労を感じる…。こんな序盤で? マズいかも。4’40に戻して様子をみる。
20Kmでスタート地点に戻る。やばいな、結構疲れてる。 まだ無理できる距離じゃない、もうちょい落とそう。
25Kmあたりでちょっと楽になってくる。 キツい波が過ぎたかな?いや違う。楽しみが近づいたからだ。実はスタート直前に会社を退職して九州に住んでいる後輩から「 応援に行く。 27Kmと41Kmの手前で待ってるから通過時間を教えて欲しい 」とメッセージが入っていた。会うのは久しぶり。 昔はデブで走るイメージなんか全く無かっただろうから、 颯爽と走っていいところを見せたいなぁ。
27Kmの大分駅前市街地。まずKさんの奥さんに応援される。 元気に手を振る。
その50m先に後輩H君。笑顔で名前を呼んでくれる。「 ありがとー頑張るよー」と手を振る。 でもここを過ぎるとガクっとペースが落ちる。3時間15分どころか3時間20分も難しくなってきた。いや、 下手するとパトカーに飲み込まれて完走できない危険すらある。まだあと15Kmもある、無理できる距離ではない、 とにかく体力を消費しないように丁寧に走ることしか、 今やれることはない。
32Km:ついにキロ5をオーバーしてしまう。 まだ10Kmもあるのに厳しい。体力も残っていない。岩本先生の教科書は、 走行距離が足らないことが気になっていたが、不安が的中。 かなりキツい。キロ5が切れなくなると諦めてしまう病に冒されている自分は途端 に「歩きたいなぁやめたいなぁ」などと思い始めるが、「ふざけんなよ。これ別大だぞ!」と喝を入れる。 33KmでKさんとスライドすることを楽しみに、 気持ちを切らさず走り続ける。
33KmでKさんを反対車線に発見。声をかけて手を振る。 向こうも手を振ってくれるが弱々しい。Kさんも苦しんでるんだなぁと思うが、 それでもKさんはあと5Km。 9Kmも残っている自分にとっては羨ましくて仕方がない。でも9Kmとか考えるとシンドいだけ。 手前手前に楽しみを見つけるしかない。2Km先の35Km地点で折り返すことを楽しみに走る。 折り返したところで別に楽しくないんだけど…。ペースはジワジワ落ちているが、 大失速することなく5分1桁で持ちこたえられている。
35Km折り返し。辛い。気持ち悪い。吐きたい。 でも沿道にそこそこ人が居て吐けない。何度も口の中に胃液がこみ上げては飲み込む。 中央分離帯に行って吐こうか… と考えるも掃除する人のことを考えると吐けない。反対車線に最後尾のランナーとパトカーが見える。やばい、 結構近い。3-4分差か?ラップは5’15までズルズルと落ちている。 もう目標はパトカーに追い付かれず完走することのみ。どこまでならラップを落とせるのか? 複雑な計算をできる頭ではないので、 残りの距離に6分をかけてみる…
ダメだ、全然間に合わない。キロ6じゃダメなんだ。 キツくて目がチカチカしてきたけどペースを落とさず走る。スタート前に、高校の先輩が「持ち味の粘りで…」 とコメントをくれていた。諦めの早い方だと思っているんだけど、 粘れる男と思ってくれているのに粘れないのは情けない。 粘れ粘れと唱え続ける。
37Km:ついに5’20までペースが落ちた。さすがにマズい。 残り5Km。
5Kmなら肉体は潰れても精神力で行ける筈だと無理矢理ペースを 上げる。一気にキツくなる。我慢だ我慢。身体がカクカクしてる。後輩H君は41Km手前で待っているらしい、 あと4Km弱だがとりあえず3Km先に居ると考えてそこまで頑張 ろう。あと3Kmあと2.8Kmあと2.5Km… とカウントダウンしながら走る。ペースが5分ちょいまで上がる。
40Km通過。ゴールまであと2.195Km。 H君まであと500m。とにかくまずはH君のところまで。もう一歩も走りたくない。歩きたい、止まりたい、座りたい、 寝転がりたい…。でもすぐそこにH君がいる筈。 歪んだ顔を見られたくなくて必死に笑顔を作って走る。H君「最後の右折の手前右側に居る」 とまで詳しく居場所を通知してきてたのに…居ない。曲がった後に居るのか?と作り笑い継続で走るも…居ない。
「いねーじゃねーか!」と思うが、 40Km地点は3時間4分で通過するとか事前に言ってたのに10 分以上遅れてるので、もう帰っちゃったのかな…遅い俺が悪いんだ… などと悲しい顔しながらLAST1Kmの看板越えたところで大声 で名前を呼ばれた。
H君がニコニコしながら応援してくれている。 声出すのも辛いので「おう!」とだけ返す。キツさに歪んだ顔をバッチリ見られた。 でもH君探しでだいぶキツさから逃避できた。ありがたい。終盤ここまで粘れたのはH君のおかげ。
競技場の入り口では、 既に走り終えて完走タオルを持ったランナー達が大声で応援してく れている。「まだ間に合うぞ!」「来年の出場権取れ!」とか聞こえる。 声援に応える代わりに必死に手足を動かす。第三コーナーを曲がって残り200m。 いつもならどんなに疲れていてもペースが上がるのだが、 もう全く上がらない。極限まで耐え続けてきたのでエネルギーなんかヒトカケラも残って いない。早く寝転がりたい一心。残り100mになっても「 まだあんなに遠くまで走らなきゃいけないのか…」 としか思えない。
早く終わってくれ、早く終わってくれ~と思いながらゴール。 時間はかろうじて3時間27分台か?
5mくらい脇にそれて全天候トラックの上で大の字に倒れた。大迫傑がゴールで倒れる人に対して「 それまで走ってたのに急に動けなくなるなんておかしい」 とか言ってたけど、おかしかろうが何だろうが現実問題として俺はもう1mmも動けな い。10分くらい起き上がれなかった。
また今回もダメだったなぁ… と走り終わった直後は悲しい気持ちにもなったけど、1-2週間経ったら「でもまぁいいじゃん。楽しかったし」 と思えた。2ヶ月間、 3時間15分を本気で切れるんじゃないかと思って練習した日々は 楽しい夢を見せて貰ったし、レース当日は、朝の緊張感やレースで出し切ったこと、 H君やKさん夫妻とのアフターまで全部楽しかった。勝ち負けで言ったら、また負けたけど、 結果はおまけみたいなもんかな。
また来年頑張ります。