ハセツネ2017の記憶

日本山岳耐久レース(ハセツネ)は自分が大学生だった頃始まった。山の中の70Kmを24時間以内で走るという当時他に聞いたことのないレースだった。100Kmマラソンを走りクライミングに明け暮れていた自分の為にあるようなレースじゃないか!と思い、第1回大会に申し込んだのだが、何故か結局走らなかった。理由はどうにも思い出せない。40歳過ぎて再び走り出した時、このレースがまだやっていて、数あるトレイルレースの中でも特別な存在感を持っていることを知った。71.5Kmという距離自体はそれ以上の距離のレースが乱立していることもあり驚くようなものではなくなっているが、途中のエイドが1ヶ所しかなく貰えるのは水(もしくはポカリ)1.5Lのみ、食べ物類の提供はなし、他者のサポートを受ければ即失格、スタート時間は13時で夜間走行必須(というより走ってる時間のほとんどは夜)という質実剛健な大会である。

 

夜は寝ていたい体質の自分はちょっと敬遠していたのだが、まぁ一度くらいは出てみてもいいかな、と昨年(2017年)実質予選会みたくなっているハセツネ30Kで出場権を得て本戦出場した。この年の5月に、ハセツネよりキツいと言われる奥久慈トレイルを完走していたし、10月の頭に疲労を溜めてしまうとその後のフルマラソンに影響出そうなので、まぁ夜間走行の練習という位置づけで80%程度の力で余力を持って完走しておくか…などとナメたことを考えていた。

 

しかしレースに出てみるとスタート直後から異様に気持ち悪い。7Kmの入山峠を過ぎたところで吐いた。10Km地点を示す道標脇の倒木に10分以上座り込んで走る人達をボケーっと眺めていた。10Kmなんて毎朝走ってる距離だ。山の中とは言えこんなところで座り込むなんてない。現にそんな奴は一人もいない。みんな荒ぶる気持ちを内に秘めて魂の走りで前へ前へ進んでいるのに、自分だけ完全に戦意喪失している状態が情けなくてちょっと泣いた。

 

その後も吐いたり座り込んだりしながら、第一関門(22Km地点)の浅間峠に5時間以上かけて辿り着いた。ここでザックの整理をすると衝撃。3L持ってきた水が残り400mlになっていた。吐いた後に脱水を恐れて飲みまくってたのが原因だろう。水が貰えるのは20Km先。今の調子だと5時間近くかかる筈。400mlで行けるのか?ここまでも相当遅かったが更にペースを落として汗をかかないように進むしかない。しかし2Kmほど進んだところでどうしてもこの水の量では20Km進めないことが分かった。それなりにキツい登りが断続的にあり、そこではかなりペースを落としても汗が出てくる。水を飲まないと更に気持ち悪くなる。無理して突っ込んで脱水症状になっても簡単に降りれる場所じゃない。大会関係者に迷惑をかけるのは避けたいし、どう考えても諦めるしかなかった。第一関門に戻ってリタイアを告げて下山した。

 

リタイアを決めた時は「まぁこの体調じゃ仕方ないな」と軽い気持ちで受け入れたのだが翌朝から酷い自己嫌悪に苛まれた。体調が悪かったのは事実だしこれは不可避だったにせよ、それでもその状況を受け入れて何とかしようという最大限の工夫をしていればまだ戦いようがあったのではないか?好き放題パカパカ水飲んでたのは緊張感や目的意識がなさすぎたのではないか?そもそも凶悪で知られるハセツネを80%の力で余力残してゴールしようなんて何様のつもりだったのか?来年はしっかり準備して100%の力で真っ向勝負してねじ伏せてやる!今年は15時間くらいで完走したいと思ってたけど15時間じゃねじ伏せてる感じはしないなぁ、10時間切りだとねじ伏せ感たっぷりだけど、そりゃ一流トレイルランナーのタイムだし逆立ちしても無理だな、じゃぁ半日の12時間切りを目標にしよう、かなり無理目だけど目標は高く持たなきゃね、なんて考えていた。